カテゴリー: 散歩のブログ

  • 夏の影 (Shadows of Summer)

    Overview: A record of a walk under the early summer sun. The intense light cast deep, vivid shadows at my feet. This post captures those fleeting moments where personal reflection and the captured scenery seamlessly come together through photos and words.

    なかなか暖かくなるのが遅いと思っていたのが、気が付くと桜の花も散り、いつの間にか、まだ5月とは思えないほどに枝々には大きく立派な葉が繁っている。

    温暖化の影響もあるのだろう。昨年は7月や8月の真夏の時期、あまりに大きく繁りすぎた葉の重みで、桜の枝が撓み、今にも折れそうになっているものをずいぶん見かけた。私の観察では、その後、桜やその他の街路樹などはかなり剪定されたようだった。その対策は正解だった。撓む枝もなくなり、見た目もかなりさっぱりしている。

    散歩は少しずつ復活させようと思っていたが、つい先日までは体感気温が低い日が多く、それがやっと暖かくなり始めたと思ったら、今度は急に夏のようになった。やはり、寒さと暑さの中間の季節感を覚えることが、ずいぶんと少なかった。

    散歩に行きそびれるのには、別の要因もあった。ウクライナでの戦争やイラン、アメリカ、イスラエルなどが関わる紛争のニュースが、毎日のように流れていたことだ。わたしはSNSなどで、海外からのニュース映像をアップロードされてすぐに見ることもある。想像を絶する爆撃や破壊の映像を見た後では、自分がのんきに散歩をし、世界で起きていることに対して何も感じていないかのように、草花や空の美しさのみを賞賛するブログを書く気持ちにはなれなかった。

    しかし、夏の光は確実に眩しくなってきていた。歩道脇の花壇に新たに植えられた草花も日々成長し、緑は濃く、花は美しく咲き始めていた。

    官庁街通りに差し込む日差しが、桜並木の豊かな葉の間を通り抜け、広い歩道に揺れる枝葉の影を落としていた。

    しばらく歩いていると、花壇の葉にも、枝葉からの木漏れ日が揺れている。

    さらに歩いていくと、何でもない道端のクローバーのカーペットにも、近くの樹木の影と、その隙間に落ちる木漏れ日があった。

    ふと、このような木漏れ日だけでもいいから、世界中のあらゆる街角に、ただそれがあってくれればいいのだとーー意味があるような、ないような、小さな想念が浮かんだ。

  • 隠された花びら

    桜の季節は終わった。

    遅い春だったが、ついに桜が咲き始め、満開になり散っていった。

    遅い春と感じたのは、いつまでも肌寒い日が続いたので、日差しが戻り日が差すようになってきてからも、体感気温が低かったからである。それでも桜の開花は例年より早かったようだ。だが体感した気温の低さからは、春は遅いと感じていた。

    満開の桜は美しかった。私はいつものように、十和田市官庁街通りの桜を眺めて歩いた。多くの人出があった。穏やかな時が流れていた。とはいえ、世界を取り巻く政治経済社会状況は厳しさを増し、原油価格の高騰がいつまで続くのかといった不安もある。世界各地で続いている戦争に加え、不穏な事件や事故や災害が相次いだ。東北には大きな地震もあり、またその直後の山林火災もあった。

    わたしは散歩はしたかったが、体感気温の低い日が多く、その上風も強かったりすると、出かけそびれた。

    しかし、桜が散り始めた頃から、少しづつ散歩をするようになった。満開の桜が散り初め、若葉が見え始めた。すると、毎日、花と若葉の比率が変化していく。当然のことだが、若葉が増えていき、花は減っていく。その移り変わりの時期が、私はとても好きだ。満開の輝くような華やぐ生命の充溢よりも、一番元気な時期を少し過ぎて、落ち着きが見え始めたころ、季節の橋渡しをしている花と若葉の生きたやりとりが、生命の季節が時の流れの中にあるのだということを、如実に感じさせてくれる。

    季節は移ろう。どの季節も、その一時の季節に止まろうとはしない。どの季節も、それが過ぎゆくものであることを知っている。移ろうことこそが、季節のあり方の本質である。もはや移ろわなくなれば、それは季節ではないのだ。

    人生の季節を振り返って、四季の移ろいに思いを馳せないものはいない。人生は時の流れの中にある。それはいつだって、その時代に止まることはしない。というより、それはできないことなのである。

    「時間よ止まれ」という矢沢永吉の歌がある。もちろんそれは、人生の時間が止まらないからこそ、そう言いたくもなるのだ。

    「帰りこぬ青春」(Hier Encore/Yesterday when I was Young )という、シャルル・アズナブールの歌がある。それは痛いほどに、過ぎていった過去を振り返っている。

    ところで、今日の夕方近くになってから、散歩に出てみた。まだ日の明かるさはあったので、草花の写真を何枚も撮った。その一枚で、咲き始めている春から初夏の草花の隙間に、もうとっくに散ってしまったはずの桜の花びらが何枚か、その美しさを未だに保ったまま横たわっていた。

    この場所は、散った花びらの自然の隠れ場になっていたのだろうか。偶然そばに落ちてきただけの花びらだろう。たとえしばらくその形を留めたとしても、しばらくすれば、花びらは萎れて枯れ、地に帰ることはわかっている。それだのに、たまたま近くに落ちてきた花びらに、周囲の草花と地表の枯葉は天然の保湿を与え、暑さを凌ぐ陰をも提供した。そしてほんの短い時を共に過ごしているのである。誰にも気づかれず、静かに思い合う生命の営み。それはやはり美しい。

  • 遅い春

    昨年の12月の半ば頃まで、この冬は暖冬だと思っていた。それくらい寒くなるのが遅かった。年末が近づいて、急に寒くなり雪が降った。

    すると結構ヘビーな大雪の日もあるようになった。十和田市では大雪とはいっても、そこまでひどくはなかったが、津軽の方、特に青森市ではこれまでにない大雪で、除雪が間に合わない事態が生じたようだった。

    私は12月末に本を出版した。その疲労が出て、年明けからはブログも書けず、SNSでの発信もほとんどできなかった。疲労が嵩み体力が少しでも落ちると、散歩に出て風景を眺めるような余裕はなくなる。それに、1、2年前だと、真冬のかなり寒い日であっても、防寒の衣服に身を包み、雪を踏んで歩くこともあった。それで風邪をひくでもなかった。

    ただ、もう高齢でもあり、本当に寒い時は、どれほど防寒の衣服を着ても、散歩をするのは無理である。

    それで春になるのを待っていた。ところが今年の春は、もう来たようでいて、朝晩が寒かったり、また日中の日差しも少なく、お世辞にも暖かいとは言えない寒い日が続いた。

    それが、もう三月末である。それにも関わらず、ああ春だと、掛け値なしに言えるほどには、暖かくならない。

    それもあってのことか、官庁街通りの花壇で、春の花を見ることもずっとなかった。2、3日前くらいからだろうか。その花壇にすみれを見かけるようになった。管理されている方たちが植えてくださっているのであろう。

    Towada City. 2026.3.29.

    散歩の途中で見かける家家の庭に咲く花は、すでに早いものは咲き始めている。一番早かったのは、近所で見かけた、真っ黄色のクロッカスだった。それからしばらくして、別のところで、スイセンが一つもう満開になっていた。

    Towada City. 2026.3.14.

    春の花を見かけるようになって、やっと本当に春が来たのだと、安堵している。 

    4月に入れば、春が来たどころの話ではなくなるのかもしれない。まだ寒々しいので、感覚としては想像もできないが、あと2、3週間で桜も満開になるのであろう。

     

  • 緑の紅葉

    十月に入り、暦の上では秋らしくなってもおかしくなかったのだが、しばらくの間、気温がそれほどには下がらなかったと記憶する。 やっと秋らしい涼しさが訪れた日に、暫くぶりに八千歩以上歩き、翌日には九千歩以上の散歩をした。それくらいの歩数を歩かないと、身体が鈍ってしまう。長めの散歩ができると、身体も心も軽くなり、気分も楽になる。

    ここまで書いて、しばらく筆をおいていた。 今思い起こすと、上記の散歩のときには、官庁街通りの紅葉はまだ始まっていなかった。ちらほらと紅葉する枝が見えてはいたが、桜並木の街路樹はまだほぼ全体が緑の葉に覆われていた。それから少しずつ紅葉していったが、その進み方はゆっくりだった。やはり温暖化の影響か、秋に入ったようでいて、それらしくない暖かな日がときどきぶり返すと、姿を見せかけていた秋は、すっとどこかへ隠れていってしまうようだった。

    男心と秋の空、あるいは女心と秋の空と言うべきか。姿を見せかけてはすっとまた隠れていく移ろいやすさは、待っている方としても心穏やかではなかった。この空模様と、なかなか秋になりきらない現代の秋初めのもどかしさを同列にするのが適切かどうかは諸賢のご判断を俟つが、やはり秋を待っていたわたしとしては、待ちぼうけのつらさ以上に、紅葉し切れない街路樹に対する茫漠とした不安を覚えざるを得なかった。

    十月三十一日になって、朝から曇っていたものの気持ちのよい秋の涼やかな大気を感じたので散歩にでると、官庁街通りの桜並木は美しく色づき始めていた。 美しい。まだ緑の葉も残ってはいるものの、もう間違いなく秋の色へと移り始めていた。いつの間にか色づき始めた紅葉を見るのは、何かが季節とともに成長し、あるいは静かな成熟のプロセスを辿り始めたようで感慨深い。より鮮やかな色づきへ変化しようとしている、無限の細やかさを秘めた赤と黄の陰影の美しさは、一瞬の秋との出会いに眩い輝きを添えてくれていた。

    そして、秋が進行していき、紅葉がそのもっとも美しい姿を見せてくれるものと思っていた。 秋は深まり、紅葉もさらに色づいていった。わたしはそれを楽しみはした。しかしその一方で、わたしは今年の紅葉が、少しいつもとは違う風貌を見せていることが気になっていた。

    紅葉がさらに色づいていくのに、いつまでたっても、色づききれない緑色の葉が、どの桜にも他の樹木にも結構たくさん残っているのである。 せっかく成長し成熟して、その樹木のその季節としては「大人」の装いを纏っていてよいはずのときに、その一番の晴れ着の色が、着物の染色に失敗したかのように、中途半端な色づきのままなのである。

    さらに秋が深まっていったが、その中途半端な色は、結局最後まで残ってしまった。 もしわたしがこの街路樹の親であったとすれば、やはり気がかりなことである。一番美しい晴れ着姿を期待していたのに、その着物の色付き方が中途半端に終わるというのは、つらいことである。

    十一月に入り、だんだんと紅葉の盛りも過ぎていった。そのもっとも美しい数日間は、確かにとても美しかった。それを見ると、やはり樹木も秋の色づきを心から喜んでいるかのように見えた。 それからさらに数日すると、次第に紅葉が散り始めた。落ち葉が増え、木々の枝の紅葉も散っていった。そんな中で、注意してみると、もうかなりの落葉をしている樹木であっても、残った紅葉に混じって、なんといまだに緑色の葉が結構たくさん残っていたのである。それに気づいたとき、痛々しい気持ちになった。

    紅葉の盛りの時には、わたしも美しさに眼を奪われ、いまだに緑の葉がたくさん残っていることには気がつかなかった。しかし、その美しさの陰には、こんなにたくさんの緑色の葉が隠れていたのだ。

    どう見てもこれは地球温暖化によって、季節のうつろい方がこれまでとは違ってきていることの証左だろう。気温の下がり方の鈍さでもわかるが、秋が秋らしくならなかったことに対して、樹木は敏感に反応していたのだ。気温が十分に下がり、秋が秋らしく始まってくれないと、日本の樹木は、その季節感に合った美しい紅葉を見せることができないのである。

    色づいた紅葉の話題で、この季節はテレビのニュースも満載だった。しかし、この「紅葉になりきれない樹木のもどかしさ」というよりも「苦しさ」を報じたものがあっただろうか。 あるインタビューで、紅葉を見た方が「紅葉とまだ残っている緑の葉の見せるグラデーションもまた美しい」と言っておられた。たしかに人間の目から見れば、緑のだいぶ残る紅葉のグラデーションは美しいし、風情がある。 しかし、その美しさは、樹木が本来見せたかった美しさだっただろうか。

    温暖化の影響で帆立貝の稚貝が死ねば、それは甚大な被害をもたらす。また、もし温暖化の影響で森林の樹木の実のつき方に変化があれば、森の生態系が崩れ、熊をはじめとする野生動物の生態にかなりの異常が出るかもしれない。そういったことは実害もあり、誰もが心配する。 その一方で、地球温暖化によって紅葉の仕方に多少の異常があっても、多くの人はそれほど心配をしていないように見える。

    しかし、自然を愛するということは、それに対する「attention(眼差し・注意)」を細やかに注ぐことでなければならないのではないか。 哲学者シモーヌ・ヴェイユが言うように「attentionを注ぐことが愛」なのである。 子供を細やかに見ていると、そのいつもと違う様子にすぐ気がつく。そして、それに注意深く対処することで、子供の生活の背後に隠れている危機に早く気がつき、対応できる。

    もし、秋の紅葉を楽しむのなら、その樹木に対する細やかな眼(attention)を継続的に持たなければならないように思う。 折につけ散歩して、同じ樹木や草花を見ていると、その微妙な変化やいつもと違うことに気がつく。そして、それに細やかに反応することこそが、その樹木への愛なのである。満開の桜と、紅葉の盛りの時だけ、いっときの目の保養として消費するだけでは、この自然の危機を乗り切る知恵を育てるには、少し足りないように思えるのだ。

    もう半分紅葉が散ってしまった樹木にも、緑の葉がまだ結構残っていた。それはまるで、「緑の紅葉」とでも呼べそうな、生命としての樹木の苦しさの訴えであるかのようにさえ思えた。

     

     

     

  • 久しぶりの散歩

     

    久しぶりで散歩をした。このしばらくは涼しくなったようでありながら、結構湿度の高い日が多かった。それで長めの散歩に出かけたのは久しぶりだった。実際、午後3時半を過ぎて気温も高くはなかったのだが、どんよりした曇天の下でしばらく歩いていると汗ばんできた。それで湿度が高いことは体感でもわかった。

    しばらく歩き、やはり久しぶりのマクドナルドでアイスコーヒーを飲んでいるうちに、涼しくなってきた。小休止ししばらくボウっと時を過ごしたりするのは、もう老人なので頭が回転しなくなってきたことがあるのだろう。それは悪いことではない。

    官庁街通りの花壇の花を観賞したのも久しぶりだった。もう季節が変わろうとしているから、咲いている花の種類も変化してきていた。

    咲く花と散る花が季節の移ろいを語り合っている。それは人の世でも同じことだ。わたしの知人もこの数年から十年近くの間に、何人も去って行った。下の写真も同様でに咲く花と散る花が季節の移ろいを語っている。人もまた、世に生きるものは、去っていったものと時の移ろいについて、時に語り合っているものである。わたしは少なくともそうしている。それは読書と祈りの時を通してのことだが、祈りについては、散歩で歩きながら祈ることができる。それで心の中で祈りながら、去っていった人のことを思い浮かべ、その人の生前の言葉のリフレインを記憶の空間に探すのである。

    花壇にはうつくしく咲いている花もあるが、咲いている花の数は少しづつ減ってきているように見えた。

    歩くことは、考えすぎることにブレーキをかけるのに役立つ。こうして散歩して、花を眺めていられるのは、考えようによっては至福に近い。

    ところで死が近づく時の様子を、まるで滝つぼに向かっているかのようだと、昔短歌の先生から教わったことがある。その方は母の短歌の選者の先生で友人でもあった。母がもう長くないと医師から言われたとき、先生は病院まで見舞いに来てくださった。

    母が亡くなって、わたしも母の意思を継ぎ、同じ先生に選者をお願いして同じ短歌の結社に入った。そのころ先生が母の思い出を語りながら、滝つぼの喩えを教えてくださった。川は悠々と流れている。しかしいつの間にか滝つぼに近づいていることに気づく。すると気がついたときには、もう考える間もなくどんどんと滝つぼが近づいて来て、あっという間に落下することになる。それを誰も止めることは出来ない。

    母と同世代で、先生ご自身滝つぼに何年もしないうちに向かうことになるということは、もちろん言外に充分含んだ言葉である。その先生もお亡くなりになったようである。母の死後も短歌の詠草だけでなく、しばらくそれに添えて手紙なども認めていた。数年後に仕事が忙しくなって、短歌は休止した。

    この10年ほどの間に、他にも長く知り合っていた友人や知人の多くが亡くなっていった。それは季節の変わり目にも似た、時代の変わり目のようにも感じられる。散歩をしていて、去るものとこれから咲くものがともに並んで在るのを見つけると、いつも同じ感慨が心に浮かんでくる。それを言葉で簡単に言うことはできないし、また言ってしまいたくもない。

    では、この項目は終わりです。

  • 歩いていることの自覚

    歩いていることの自覚

    わたしは歩いているとき、自分が歩いていることを自覚することがよくある。歩いている自分自身について、「わたしは今こうして歩いている」というふうに意識的に自覚をするのである。

    それは子供の頃からよくあったことだ。あるとき、通っていた小学校の近くの道を歩きながら、わたしは歩いている、そしてこれからも歩いて行く、と自覚したことを、今でも覚えている。

    実際に足で一歩一歩歩くことと人生の歩みが、とても類似していると感じるようになったのは、ある程度歳を重ねてからである。

    しかし不思議なことは、歳を重ねて人生を振り返り、過去の生活を思い起こすとき、わたしはその時々に住んでいた場所で、いつも歩いていた道を歩いてる自分の記憶が蘇ってくるのである。しかもそれは、その時々に、その場所のその道を歩いていた時に、歩いていることを自覚しながら歩いていたことをも含めて思い起こすのである。

    言い換えるなら、わたしはよく歩くタイプで、しかも歩くときに歩いていることを自覚するのが癖になっているので、人生の思い出のどの場面でも、ある道を歩いていた記憶と、その時に歩いていることを自覚していたことの記憶が、言わばセットになって一緒に回想されるのである。

    すでに子供の頃から、わたしは遥か先の人生の歩みに想いを馳せることが、よくあった。子供ながらに、これからのわたしの人生はどんなふうになるのだろうと、未知の未来に想いを馳せるのである。しかもそして、何となく人生は、子どもの自分がこうやって一歩一歩歩いているのと似たような感じで、やっぱり一歩一歩歩いて行くしかないんだろうなと、あまり子供らしくない高齢者が考えるようなことを、考えたりしていた。

    それは子供らしくないし、気持ちが覚めすぎていると言えなくもない。逆に言えば、子供らしく何かに夢中になって、我を忘れると言った、本来は子供にとって大変望ましい充実感に満ちた生の喜びを、持ちにくいタイプの子供だったように思う。 

    今時々散歩をして、路傍の草花や樹木や吹き抜ける風や抜けるような青空あるいはむせ返るような真夏の大気と入道雲にも、一種の緩やかな充実感を感じ味わうのは、おそらく、若い頃から、亡我するほどに強い充実感を持ちにくかった私が、自分なりに編み出した、緩やかで弱い充実感を感じるための工夫だったのだろうか。

    わたしはあまり強くなく、むしろ弱いとも言えるような、静かな喜びが好きなのである。静かな喜びは、何ものにも替えがたいものだと思うのである。

  • 移ろう季節の中の沈黙と語り

    移ろう季節の中の沈黙と語り

    5月に満開の桜が散った後、人通りも少なくなった桜並木を歩いていると、もうほとんど葉桜のように見える桜樹なのに、どうしてか遅れて咲いている桜の花が、一輪二輪と、太い幹の表や少し高いところの枝のなどに、とても控えめに咲いているのに、眼が止まった。

    十和田市官庁街通り 2025.5.3.

    満開の桜は好きだ。しかし、わたしの感じ方の癖なのだろうが、満開の前にフライングして咲いている一輪二輪の花や、もう満開はとっくに過ぎたのに、かなり遅れて咲く一輪二輪の桜の花の方が、むしろ魅力的に見えてしまう。

    2025.5.3.

    フライングも遅れ咲きも、どちらもタイミングが外れているので、ほとんどの人は見向きもしない。しかし、そこで咲いている小さな花は、そんなことには無頓着だ。多くの人に見てもらわなくとも、そんなことは構わないのである。誰に対しても自己を主張することなく、ただひっそりと時節を間違えて、おっちょこちょいに咲いている自分に対して、ふと眼を止めてほんの一瞬微笑んでくれる人が一人でもいてくれたら、それだけで満足なのである。

    いや、そんなことでもない。そんな人がもし一人もいなかったとしても、それでも構わないのである。

    小さな桜の花は、ひっそりとして沈黙している。自分をまったくアピールしようとしない。そんなことは眼中にない。季節が多少外れていようがいまいが、大きなことではないのだ。

    2025.5.3.

    「今、わたしは咲いている。仲間の花々がほとんど皆散ってしまったことは、少し寂しいといえば寂しい。でもわたしは、いまここで誰に迷惑を掛けずに、静かに、むしろ沈黙の中でこうして咲いている。ほんの数日の間だけれども、わたしは自分の生を十分に満喫して生きている。」

    そんな小さな桜の声が、沈黙の中から聞こえてくるような気がする葉桜の季節を、わたしはひとりで歩いていた。

    時が過ぎ桜の葉は成長していった。季節は春の終わりから初夏へと移り変わっていった。

    2025.5.10.

    饒舌な言葉が溢れている世界に少し疲れていたわたしは、季節の移ろいの中で、散っていく花や新たに咲き始める花などを見て、心を慰めていた。心中で語りだそうとする自分自身の思いを戒めて、むしろ、大空や風や樹木や草花の沈黙の語りに耳を澄ましている方がむしろよいことなのだと、思いなすことにしていた。

     

    おそらく散った花びらを隣の葉が受け止めている。2025.6.11

     

  • 雨の桜通り

    雨の桜通り

    ちょうどイースターの日曜日(4月20日)に、官庁街通りの桜は満開になった。翌月曜日にローマ教皇が亡くなった。そして、4月23日水曜日の朝、満開の桜通りは冷たい雨に濡れていた。世界の平和を願い祈りながら天に召された教皇の死をいたむかのように、この日の桜通りには、涙のような雨がしとしとと降っていた。

    4月20日
    4月21日
    4月22日
    4月23日、雨模様の桜通り

    4月20日日曜日、ミサに出る前、わたしは自宅から、春祭りの会場で開催されている園芸のコーナーの盆栽会のテントまで、ちょうど満開になっていたフジザクラの盆栽の鉢を手に持ち、歩いていった。十和田市官庁街通りは、ちょうど満開になったばかりで、車道は車の行列、両サイドの広い歩道にもかなりの人出があった。ほぼ晴れで、風もそれほど強くなかった。桜はほとんどまったく散っていなかった。

    4月20日、春祭りの盆栽市展示

    少し前からカトリックのミサにときどき出ていた私は、イースターの日もミサに行った。会堂は美しい花でかざられていた。いつもより多くの人が会堂の来ていた。神父の説教は日本語と英語とタガログ語でなされた。愛餐会に誘われて、信徒の皆さんと、ひととき楽しい時を過ごした。

    4月20日、イースターミサ、十和田カトリック教会会堂

    カトリック教会から南に少し歩いて、市の公民館まで行った。そこで十和田短歌会の4月例会に参加した。3月に一度お邪魔し、4月から参加させいただくことになっていた。2007年2月に船橋市で亡くなった母が、四半世紀にわたり参加し社友でもあった短歌結社「潮音」に、母を引き継ぐ意思をもって参加させていただき、その後数年間所属していた。仕事が忙しくなって、「潮音」を辞めさせていただいてから、十数年間短歌を読むことはなかった。

    4月20日、短歌会で頂く

    それが知人に誘われて、3月に一度短歌会を覗かせていただいていた。短歌をやめたことは残念な想いがずっとあったこともあり、少し考えたのち、参加させていただきたいとお願いした。それで、少し急であったが、4月の例会からは会員として参加させたいただくことになった。久しぶりに、にわか仕立てで読んでみた歌は、満足のいく出来ではなかった。しかし、それをN先生から書き直していただくと、それは見違えるような歌に変貌した。

    遅き春朝の光に温もりて言の葉記す八戸の街(筆者)

    指折りて春の言の葉さがす朝八戸の街にも遅き春来る(先生)

    どうみても、わたしの歌は凡作で、先生のはたいへん素晴らしい。妻に後で読んでもらうと、先生の歌の素晴らしさに感動していた。同じ文字数でこれほど違うのだと、わたしもたいへん驚いた。

    短歌会が終わった後で、もう一度桜祭りの会場の盆栽会のコーナーにいくと、すでに二日間の日程を終えて、後片付けいをしていた。今年も、即売もされていた盆栽や鉢をいくつか分けていただいた。

    その後しばらくの間、桜はあまり散らなかった。そして、ほぼ満開に近い見頃のままの状態が何日か続いた。例年より冷たい風が、いつまでも吹いていたことが、桜の花を長持ちさせたのか、それとも、昨年と比べるとかなりの剪定と手入れをした桜の樹々が元気を取り戻したのか、いずれにしても見事な桜をしばらくの間楽しむことができた。

    ちょうどこの時期に、フランシスコ教皇が亡くなったことで、カトリック信徒ではない私でも強いショックを受けた。そして気持ちが沈んだ。世界のプロテスタント教会は、その多様性のゆえに、かえって多少普遍的な思想から離れたりしてはいないか心配になるケースもある。ところが、カトリックはフランシスコ教皇の発言からも窺えたように、かなり高い水準の普遍性を維持しているように感じられる。もしかしたら、同じような感想を持っている方もいるかもしれない。

    十和田市は4月に入ってからも、夜は寒い日が多かった。日中もあまり暖かくない日も多く、毎日散歩をするというわけにも行かなかった。本当に春めく日というのが少ないのが、今年の春の特徴である。それがメンタル面でも、多層明るさと笑顔を奪ってしまっていたかもしれない。国際関係や経済も不安定さを増し、気象までもが必ずしも明るさをもたらしてくれはしない状態のまま、いつの間にか月末になり、ゴールデンウィークに入り、カレンダーも5月になった。

    桜の花がとても美しかったのだけれども、どことなく元気がでないのは、戦争や災害や国際的な軋轢が、多くの人々の日常生活にも暗い影を落としているからではないだろうか。

    知人からいただいたヒメリンゴとすみれが咲いた。寒い冬を越えて咲く花に慰めを見ている。

  • 春はスローモーションのように

    春はスローモーションのように

    数日前の4月12日だったと思うのだが、十和田市街も暖かくなったので、そろそろ官庁街通りの桜のつぼみもほころび始めるのではないかと、期待した。しかしその期待はあっけなく外れてしまった。まだまだ肌寒い日が続いていたので、桜の樹の方でも、そこまで気分が向かなかったのだろうか、と少しだけ気落ちした想いで桜並みの大通りを歩いた。

    翌13日は、気温がまた下がった。ミサに出るので早めに散歩に出た。前日より気温が下がったので、おそらく開花はまだしないだろうと思った。実際官庁街通りの桜並木は、どの樹もまったく開花していないように見えた。

    俯き加減で浮かない表情をしながら、わたしは歩いていたことと思う。中央病院の前を少し過ぎたあたりで、向こうから元気よく歩いてくる方が見えた。そしてすれ違うほんの数歩手前で、その方がすっとご自分の右手の桜の幹の人の背丈より少し上方に視線を向けた。そして微かに微笑んだ。

    わたしはとっさに「開花してますか?」と話しかけた。もう1、2歩歩くと、わたしの方角からは死角になっていた側の桜の幹が見えた。ほんの数輪だったが、桜の花が咲いていた。わたしは「開花していますね!」と、いつのまにか少し軽い気持ちになって語りかけた。ほんの一瞬の小さな春を胸にしまって、まるでスローモーションのような春の展開に、少しうんざりしながら、しかし少しだけうきうきもしながら、まだ他の樹々は一輪も開花していない桜並木をいつもにように歩いて行った。

    14日も気温はさほど上がらず、桜並木の様子は、相変わらずだった。

    そして今日15日になっても、まだ気温はさほどには春めかない。今週の後半くらいから、やっと本格的に暖かくなるという予報だ。とすると、もしかしたら次の日曜日、キリストの復活祭の日に満開になるということなのだろうか?

    上の写真は一昨日撮影。今日の午後になって、もう1度歩いてみると、これと似たような幹から咲いている桜の花が数ヵ所あるのを見つけた。下がその写真。

  • 消えたクロッカス

    消えたクロッカス

    今朝、家の庭で事件が起きた。クロッカスの花が無くなっていたのである。

    今年は春めいてくるのが遅かったので、庭の花がなかなか蕾を見せなかった。この冬に青森市の知人からもらった紅梅の盆栽だけは、3月半ばにはかなり咲き始めたが、それは末頃までには散っていた。しかし、他の花は水仙にしてもチューリプにしてもクロッカスにしても、一向に成長してくる気配がなかった。

    そんな中で、忘れかけていた少し大きめで浅い形の植木鉢に植えてあったクロッカスが、先陣を切って、花の中では最初に紫色の蕾をつけ始めていた。しかし、冷たい風の吹く日が多かったせいなのか、そのクロッカスの蕾はなかなか成長しなかった。開花するのはもう少し春めいてからだろうと、思っていた。

    じつは、このクロッカスの鉢植えはもう枯れてしまったものと思って諦めていた。それで長い間そのまま放っておいたので、土の表に枯れた草や紛れ込んだ小石などが混ざってしまっていた。先日、これはもう捨てなくてはと思っていたその矢先に、小さなクロッカスの芽が出ていているのに気づいてびっくりしていた。昨日も、紫色の小さいが元気そうな蕾を見せていたので、もう少し暖かくなれば綺麗な紫色の花が開くだろうと期待していたのである。

    2025.4.4.

    それが一夜開けて今朝になり、朝から春めいた日差しが差しきたので、今日こそは開花するだろうと思いつつふと庭先を見てみた。すると、何とクロッカスの蕾は消えていたのである。植木鉢はそのままいつもの場所にある。だがクロッカスの花が見えない。

    2,025.4.5.

    庭に出て注意して見てみると、間違いなかった。クロッカスの花が消えていたのである。それもなんと花の部分だけが、捥がれたようになくなっている。妻とわたしは大変驚いた。いつもミステリーを観ている妻が、まず推理をし始めた。これはどうみても、動物が食べてしまったのではないだろうか。しかし、わたしは疑った。動物がクロッカスの花を丸ごと食べたりするのだろうか。第一動物だとしても、まさか最近また出没して初めている熊が、ここまでやって来てクロッカスを食べていったのだろうか。もしかしたら、野鳥だろうか。しかし、野鳥にしても、クロッカスの花を食べたりするのだろうか。

    突然降ってわいた事件に、妻とわたしは事件の真相を巡って議論を始めた。こんな時は、そうだ今流行りの生成AIに聞いてみようと思いついた。早速、野鳥がクロッカスの花を食べたりするのか聞いてみた。すると、さすがにこういう時には生成AIは便利なものである。わたしたちもまったく知らなかったのだが、ヒヨドリやスズメなどは、クロッカスの花を食べることがある、という答が返ってきたのである。生成AIは間違えることもあるとはいうが、おそらく野鳥がクロッカスの花を食べることはあるのではないだろうか。

    そう確信したのは、事件現場の状態がやはり野鳥説と矛盾するものがなく、それらしい痕跡が他にもあったからである。というのは、鉢植えの近くに食べられてしまったクロッカスの花びらが一枚落ちていたのである。おそらく嘴で突いたものの、花びらを一枚落としてしまったのだろう。ヒヨドリにしてもスズメにしても、嘴の形状からすれば、やはり花びらが一枚剥がれ落ちたとき、それを再度啄んで食するのは困難であろう。

    こうしてさまざま状況証拠から、おそらく犯人は野鳥である、とわたしたちは確信するに至った。しかしその野鳥がヒヨドリかあるいはスズメかはたまたそれ以外の野鳥なのかについては、真相は闇に包まれている。

    しかし、ただもう一つ、もし野鳥が犯人だとすれば、それを犯人扱いするのもちょっとかわそうだと思ってしまった。第一、クロッカスの花はその野鳥にとっては貴重な食料だったわけである。クロッカスの花は、少し前に近所の庭先で咲いているのを見たことは見たが、それはこの辺では珍しく早咲きのクロッカスで、その後は街を散歩していてもいまだほとんど見かけない。

    つまり、クロッカスが大好きな野鳥だったとすると、春が遅くなかなか咲いてくれないクロッカスが、一輪蕾だけでも咲きそうなのを見つけたとするなら、それを食するなという方が酷な気がする。むろん開花を待っていたわたしたちにとっては残念ではあるが、その野鳥にとっては、とても美味しいクロッカスの花を食べられたのだから、それはそれでよかったのである。

    こうして、我が家の今朝の事件は、最終的な真相究明はできなかったものの、蓋然的には、庭にきたいずれかの野鳥のご飯になった可能性が高いということで、一件落着した。

    しかし、それにしてもこんな事件が身近に起こるまで、クロッカスの花を食べる野鳥がいるということなど想像したこともなかった。人生はいつでもそれまでまったく出会ったことのないような出来事に遭遇し、それを通して学び続けていく道程なのだと改めて深く気づいた1日であった。

    追記:後で、普通の検索をしてみると、クロッカスが食べられることはよくあることだと分かりました。鹿もウサギもそしてもちろん野鳥も食べるようで、園芸に詳しい方々にはよく知られたことだったようです。まだ園芸を始めたばかりの私たちにとっては、まだまだ知らないことがたくさんあるのだと知りました。