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  • パーフェクト・サマー

    数日前の散歩の日、空は気持よく晴れており、気温もちょうどよかった。風はとてもさわやかで、すでに6月の末で梅雨に入っていたのだが、おそらく梅雨の谷間だったのだろう。

    初夏の陽射しとさわやかな風は、かつて関東で経験した五月晴れの明るさと、緑色が濃くなり始めた若葉をそよがせていた気持ちのよい風とまったく同じだった。

    しばらく歩いていたとき、ふと、これはまるで「perfect summer 」だと思った。初夏の陽射しと、それを緑色に照り返す桜並木の枝枝。そして歩道に沿った花壇に植えられた、多様な色と形の草花。

    その日朝早く、大きな地震があった。この日のことは別の記事「地震と台風」にも書いた。早朝の大きな揺れに不安を抱えたままであったが、あまりに天気がよいので散歩に出たのである。

    幸い、わたしの住む街ではそれほど大きな被害はなかった。とはいえ、散歩をしながら陽射しと爽やかな風、草木のそよぐ風景の美しさに心を奪われ、まるでperfect summerだと内心思うことには、どこか気が引けた。

    国内では大雨の被害もあったし、さらなる被害も予想されていた。そればかりか、家に帰ると、南米のヴェネズエラではるかに大きな地震があったというニュースが流れていた。その一報を聞いただけで、相当の被害になるだろうとわかった。

    長引くウクライナの戦争、アメリカ、イスラエル、イランの間の紛争。それ以外にも、世界中から多くの紛争や災害のニュースが流れてくる。

    それを知りながら、自分だけ呑気に散歩して歩き、「ここはまるでperfect summer のようだ」と、心の中でほくそ笑んでいていいのだろうか?そんな思いがよぎった。

    それでも、perfect summer のような天気は、その後2、3日続いた。同時に、日本と世界の情勢の方も、まったく好転する気配はなかった。

    その後、少し暑いと寒いがあった。その間に、あらたにヨーロッパでは、熱波で死者が増えているというニュースが流れてきた。エアコンの普及率が20%なのだそうである。暑過ぎて川や運河に飛び込んで涼を取っているのはよいとしても、それが行き過ぎてしまい死者までも出ている。

    そして、今日7月2日には、九州をはじめとして、線状降水帯や洪水のニュースが流れている。

    やや肌寒く、小雨も降っている今日の天気は、もうperfect summer ではない。とはいえ、夏に入りつつある時期にこれほど涼しいのは、体には快適だ。近くまで歩いて買い物にいき、何枚かの紫陽花(アジサイ)の写真も撮った。

    ふと、昨年観た映画『Perfect Days』を思い出した。

    主人公の平山は、東京で公共トイレの掃除の仕事をしながら、アパートに一人で暮らす。趣味は小さなコンパクトカメラで時折立ち寄る神社などで、季節の草木の写真を撮ること。それと、自宅アパートでのささやかな園芸だ。仕事が終わると、地下街の行きつけの居酒屋で、一人食事をしながら店のテレビで野球中継を観る。

    その映画のところどころで、60年代から70年代の英語の曲が何曲も流れる。エンディングはニーナ・シモンの『Feeling Good』で、朝が来て新しい日が始まる喜びをまっすぐに歌い上げる。

    わたしはこの映画が好きだった。

    主人公とは住む場所も境遇もまったく違うとはいえ、わたしもただ朝日を受けて散歩して草木の写真を撮る。家で妻とちょっとした園芸をしている。トイレ掃除は自宅のトイレだけだが、最近はたまに夜、野球中継を観ている。

    説明などできないし、する気もないのだが、平山の「Perfect Days 」をいつの間にか想起していたのだから、わたしが初夏の十和田市街を歩いて、ふと「perfect summer」 という言葉が浮かんできたことを語ってもきっと誤解を生むことはないだろう。ひとり、そう思うことにしたのである。

  • 地震と台風

    地震と台風

    今朝も、なるべく散歩に行きたいと思っていた。だが、早朝から大きな地震があった。青森県階上町では震度6強もあった。マグニチュードは7.2だったという。 十和田市は震度4だったようだが、揺れは大きく、結構長く揺れた。物が落ちることはほとんどなかったが、階上町や八戸市では、大きな被害があった。

    揺れが治まっても、何だか家がまだ揺れているような感じがした。そして、しばらくの間、疲労感が強く残った。

    落ち着いてから、朝の散歩に出た。昨日は、9000歩以上歩いたあと、体がかなり楽に感じられた。一週間に5万歩、1日にして7000歩以上を歩くことが、健康を維持していくために推奨される歩数だそうである。それに近づくために、今日ももう少し歩数を伸ばしておきたいと思って、夕食後にも短い散歩をした。
    合計で8887歩であった。あと1歩でゾロ目(8888歩)というところであった。

    これは昨日の若葉公園。

    初夏の落ち葉も立派に黄葉することを知った。

    亡くなっている野鳥(おそらくハクセキレイ)を道端で見つけた。複数の野鳥が死んでいたら、鳥インフルエンザ等の可能性もあり、市役所に連絡するべきだと思ったが、一羽であったから、そのまま立ち去った。

    官庁街通りの歩道沿いの花壇は、今とても美しい。昨年よりも格段によくなったように感じる。寄せ植えの花壇がずっと続いており、これを鑑賞する人が少ないのは、じつにもったいない。

    今日の散歩は大きな地震の後でもあり、少し不安を感じながらの散歩であった。また、台風が2つも日本に来ており、それも気になった。

    家に帰ってくると、ベネズエラで今朝の東北の地震よりもっと大きな地震があったようだった。夜のニュースでは、死者が1万人から10万人にまで及ぶ可能性があるという。これには言葉もない。

    このニュースは、わたしがサブスクライブしているニューヨーク・タイムズでは、ほとんど速報に近い形でトップで報じられている。日本のテレビでの報道は遅いと思った。これほどの大きな災害の報道が、どうしてこれほど遅れるのだろうか。グローバルな情報に対する同時代性の感覚が弱いのかと思った。

    日本人としては、日本の地震がまず一番重要な情報であることは間違いない。しかし、地震の規模からいったら、それをはるかに超える地震があったのだ。それが、たとえ南米のベネズエラのような遠い国の地震であっても、もっとライブ感のある報道があってしかるべきではないのだろうか。

  • 紫陽花の季節

    紫陽花の季節

    6月も後半に入り、北東北も梅雨の季節になった。気温も下がりがちで、雨も降る。すでに発生した台風が2つも日本に接近しており、すでに大雨の地域もあるようだ。

    あまり天気がよくないと散歩にも行けないが、普通の曇りくらいであれば、かえって、散歩には都合がよい。日差しが強すぎると、紫外線を浴びすぎることになる。

    曇りの日に真っ青な青空が見えないのは残念だ。だが、歩いているうちに晴れてくることもある。だから、心配したり気に病んだりする必要はないのだ。

    天気の悪さもあり、散歩の歩数が少なくなっていた。今日は、朝から天気もよく、久しぶりに少し長い散歩をしようと歩きだした。

    ちょうど紫陽花の季節だから、たくさんの紫陽花を見た。

    青い紫陽花が咲いていた。

    歩いていると輝くような白い紫陽花が咲いていた。うっすらとした緑色が白に瑞々しい輝きを与えていた。

    わたしが紫陽花の美しさに気づくようになったのは、40代のころ、非常勤講師をしていた看護学校への通勤途中のことだ。梅雨の季節だった。ふと見つけた紫陽花に眼が惹かれた。そのときのエピソードは、アマゾンで出版したkindle本『空の記憶』”The Sky of Life”に収録されている。これは、空の思い出、風景の記憶などをめぐる哲学的エッセイ集である。(Kindle Unlimitedで購読可)

    空の記憶
    The Sky of Life

    久しぶりに比較的長い散歩をして帰宅すると、体調が軽くなっていた。1日の歩数は、9000歩を超えていた。

    咲き始めの白い紫陽花を眺めたりしていると、時間がゆっくりと流れていくような気がする。

    (散歩のつづきは、また明日に。)

  • 隠された花びら

    桜の季節は終わった。

    遅い春だったが、ついに桜が咲き始め、満開になり散っていった。

    遅い春と感じたのは、いつまでも肌寒い日が続いたので、日差しが戻り日が差すようになってきてからも、体感気温が低かったからである。それでも桜の開花は例年より早かったようだ。だが体感した気温の低さからは、春は遅いと感じていた。

    満開の桜は美しかった。私はいつものように、十和田市官庁街通りの桜を眺めて歩いた。多くの人出があった。穏やかな時が流れていた。とはいえ、世界を取り巻く政治経済社会状況は厳しさを増し、原油価格の高騰がいつまで続くのかといった不安もある。世界各地で続いている戦争に加え、不穏な事件や事故や災害が相次いだ。東北には大きな地震もあり、またその直後の山林火災もあった。

    わたしは散歩はしたかったが、体感気温の低い日が多く、その上風も強かったりすると、出かけそびれた。

    しかし、桜が散り始めた頃から、少しづつ散歩をするようになった。満開の桜が散り初め、若葉が見え始めた。すると、毎日、花と若葉の比率が変化していく。当然のことだが、若葉が増えていき、花は減っていく。その移り変わりの時期が、私はとても好きだ。満開の輝くような華やぐ生命の充溢よりも、一番元気な時期を少し過ぎて、落ち着きが見え始めたころ、季節の橋渡しをしている花と若葉の生きたやりとりが、生命の季節が時の流れの中にあるのだということを、如実に感じさせてくれる。

    季節は移ろう。どの季節も、その一時の季節に止まろうとはしない。どの季節も、それが過ぎゆくものであることを知っている。移ろうことこそが、季節のあり方の本質である。もはや移ろわなくなれば、それは季節ではないのだ。

    人生の季節を振り返って、四季の移ろいに思いを馳せないものはいない。人生は時の流れの中にある。それはいつだって、その時代に止まることはしない。というより、それはできないことなのである。

    「時間よ止まれ」という矢沢永吉の歌がある。もちろんそれは、人生の時間が止まらないからこそ、そう言いたくもなるのだ。

    「帰りこぬ青春」(Hier Encore/Yesterday when I was Young )という、シャルル・アズナブールの歌がある。それは痛いほどに、過ぎていった過去を振り返っている。

    ところで、今日の夕方近くになってから、散歩に出てみた。まだ日の明かるさはあったので、草花の写真を何枚も撮った。その一枚で、咲き始めている春から初夏の草花の隙間に、もうとっくに散ってしまったはずの桜の花びらが何枚か、その美しさを未だに保ったまま横たわっていた。

    この場所は、散った花びらの自然の隠れ場になっていたのだろうか。偶然そばに落ちてきただけの花びらだろう。たとえしばらくその形を留めたとしても、しばらくすれば、花びらは萎れて枯れ、地に帰ることはわかっている。それだのに、たまたま近くに落ちてきた花びらに、周囲の草花と地表の枯葉は天然の保湿を与え、暑さを凌ぐ陰をも提供した。そしてほんの短い時を共に過ごしているのである。誰にも気づかれず、静かに思い合う生命の営み。それはやはり美しい。

  • 遅い春

    昨年の12月の半ば頃まで、この冬は暖冬だと思っていた。それくらい寒くなるのが遅かった。年末が近づいて、急に寒くなり雪が降った。

    すると結構ヘビーな大雪の日もあるようになった。十和田市では大雪とはいっても、そこまでひどくはなかったが、津軽の方、特に青森市ではこれまでにない大雪で、除雪が間に合わない事態が生じたようだった。

    私は12月末に本を出版した。その疲労が出て、年明けからはブログも書けず、SNSでの発信もほとんどできなかった。疲労が嵩み体力が少しでも落ちると、散歩に出て風景を眺めるような余裕はなくなる。それに、1、2年前だと、真冬のかなり寒い日であっても、防寒の衣服に身を包み、雪を踏んで歩くこともあった。それで風邪をひくでもなかった。

    ただ、もう高齢でもあり、本当に寒い時は、どれほど防寒の衣服を着ても、散歩をするのは無理である。

    それで春になるのを待っていた。ところが今年の春は、もう来たようでいて、朝晩が寒かったり、また日中の日差しも少なく、お世辞にも暖かいとは言えない寒い日が続いた。

    それが、もう三月末である。それにも関わらず、ああ春だと、掛け値なしに言えるほどには、暖かくならない。

    それもあってのことか、官庁街通りの花壇で、春の花を見ることもずっとなかった。2、3日前くらいからだろうか。その花壇にすみれを見かけるようになった。管理されている方たちが植えてくださっているのであろう。

    Towada City. 2026.3.29.

    散歩の途中で見かける家家の庭に咲く花は、すでに早いものは咲き始めている。一番早かったのは、近所で見かけた、真っ黄色のクロッカスだった。それからしばらくして、別のところで、スイセンが一つもう満開になっていた。

    Towada City. 2026.3.14.

    春の花を見かけるようになって、やっと本当に春が来たのだと、安堵している。 

    4月に入れば、春が来たどころの話ではなくなるのかもしれない。まだ寒々しいので、感覚としては想像もできないが、あと2、3週間で桜も満開になるのであろう。

     

  • 緑の紅葉

    十月に入り、暦の上では秋らしくなってもおかしくなかったのだが、しばらくの間、気温がそれほどには下がらなかったと記憶する。 やっと秋らしい涼しさが訪れた日に、暫くぶりに八千歩以上歩き、翌日には九千歩以上の散歩をした。それくらいの歩数を歩かないと、身体が鈍ってしまう。長めの散歩ができると、身体も心も軽くなり、気分も楽になる。

    ここまで書いて、しばらく筆をおいていた。 今思い起こすと、上記の散歩のときには、官庁街通りの紅葉はまだ始まっていなかった。ちらほらと紅葉する枝が見えてはいたが、桜並木の街路樹はまだほぼ全体が緑の葉に覆われていた。それから少しずつ紅葉していったが、その進み方はゆっくりだった。やはり温暖化の影響か、秋に入ったようでいて、それらしくない暖かな日がときどきぶり返すと、姿を見せかけていた秋は、すっとどこかへ隠れていってしまうようだった。

    男心と秋の空、あるいは女心と秋の空と言うべきか。姿を見せかけてはすっとまた隠れていく移ろいやすさは、待っている方としても心穏やかではなかった。この空模様と、なかなか秋になりきらない現代の秋初めのもどかしさを同列にするのが適切かどうかは諸賢のご判断を俟つが、やはり秋を待っていたわたしとしては、待ちぼうけのつらさ以上に、紅葉し切れない街路樹に対する茫漠とした不安を覚えざるを得なかった。

    十月三十一日になって、朝から曇っていたものの気持ちのよい秋の涼やかな大気を感じたので散歩にでると、官庁街通りの桜並木は美しく色づき始めていた。 美しい。まだ緑の葉も残ってはいるものの、もう間違いなく秋の色へと移り始めていた。いつの間にか色づき始めた紅葉を見るのは、何かが季節とともに成長し、あるいは静かな成熟のプロセスを辿り始めたようで感慨深い。より鮮やかな色づきへ変化しようとしている、無限の細やかさを秘めた赤と黄の陰影の美しさは、一瞬の秋との出会いに眩い輝きを添えてくれていた。

    そして、秋が進行していき、紅葉がそのもっとも美しい姿を見せてくれるものと思っていた。 秋は深まり、紅葉もさらに色づいていった。わたしはそれを楽しみはした。しかしその一方で、わたしは今年の紅葉が、少しいつもとは違う風貌を見せていることが気になっていた。

    紅葉がさらに色づいていくのに、いつまでたっても、色づききれない緑色の葉が、どの桜にも他の樹木にも結構たくさん残っているのである。 せっかく成長し成熟して、その樹木のその季節としては「大人」の装いを纏っていてよいはずのときに、その一番の晴れ着の色が、着物の染色に失敗したかのように、中途半端な色づきのままなのである。

    さらに秋が深まっていったが、その中途半端な色は、結局最後まで残ってしまった。 もしわたしがこの街路樹の親であったとすれば、やはり気がかりなことである。一番美しい晴れ着姿を期待していたのに、その着物の色付き方が中途半端に終わるというのは、つらいことである。

    十一月に入り、だんだんと紅葉の盛りも過ぎていった。そのもっとも美しい数日間は、確かにとても美しかった。それを見ると、やはり樹木も秋の色づきを心から喜んでいるかのように見えた。 それからさらに数日すると、次第に紅葉が散り始めた。落ち葉が増え、木々の枝の紅葉も散っていった。そんな中で、注意してみると、もうかなりの落葉をしている樹木であっても、残った紅葉に混じって、なんといまだに緑色の葉が結構たくさん残っていたのである。それに気づいたとき、痛々しい気持ちになった。

    紅葉の盛りの時には、わたしも美しさに眼を奪われ、いまだに緑の葉がたくさん残っていることには気がつかなかった。しかし、その美しさの陰には、こんなにたくさんの緑色の葉が隠れていたのだ。

    どう見てもこれは地球温暖化によって、季節のうつろい方がこれまでとは違ってきていることの証左だろう。気温の下がり方の鈍さでもわかるが、秋が秋らしくならなかったことに対して、樹木は敏感に反応していたのだ。気温が十分に下がり、秋が秋らしく始まってくれないと、日本の樹木は、その季節感に合った美しい紅葉を見せることができないのである。

    色づいた紅葉の話題で、この季節はテレビのニュースも満載だった。しかし、この「紅葉になりきれない樹木のもどかしさ」というよりも「苦しさ」を報じたものがあっただろうか。 あるインタビューで、紅葉を見た方が「紅葉とまだ残っている緑の葉の見せるグラデーションもまた美しい」と言っておられた。たしかに人間の目から見れば、緑のだいぶ残る紅葉のグラデーションは美しいし、風情がある。 しかし、その美しさは、樹木が本来見せたかった美しさだっただろうか。

    温暖化の影響で帆立貝の稚貝が死ねば、それは甚大な被害をもたらす。また、もし温暖化の影響で森林の樹木の実のつき方に変化があれば、森の生態系が崩れ、熊をはじめとする野生動物の生態にかなりの異常が出るかもしれない。そういったことは実害もあり、誰もが心配する。 その一方で、地球温暖化によって紅葉の仕方に多少の異常があっても、多くの人はそれほど心配をしていないように見える。

    しかし、自然を愛するということは、それに対する「attention(眼差し・注意)」を細やかに注ぐことでなければならないのではないか。 哲学者シモーヌ・ヴェイユが言うように「attentionを注ぐことが愛」なのである。 子供を細やかに見ていると、そのいつもと違う様子にすぐ気がつく。そして、それに注意深く対処することで、子供の生活の背後に隠れている危機に早く気がつき、対応できる。

    もし、秋の紅葉を楽しむのなら、その樹木に対する細やかな眼(attention)を継続的に持たなければならないように思う。 折につけ散歩して、同じ樹木や草花を見ていると、その微妙な変化やいつもと違うことに気がつく。そして、それに細やかに反応することこそが、その樹木への愛なのである。満開の桜と、紅葉の盛りの時だけ、いっときの目の保養として消費するだけでは、この自然の危機を乗り切る知恵を育てるには、少し足りないように思えるのだ。

    もう半分紅葉が散ってしまった樹木にも、緑の葉がまだ結構残っていた。それはまるで、「緑の紅葉」とでも呼べそうな、生命としての樹木の苦しさの訴えであるかのようにさえ思えた。

     

     

     

  • 久しぶりの散歩

     

    久しぶりで散歩をした。このしばらくは涼しくなったようでありながら、結構湿度の高い日が多かった。それで長めの散歩に出かけたのは久しぶりだった。実際、午後3時半を過ぎて気温も高くはなかったのだが、どんよりした曇天の下でしばらく歩いていると汗ばんできた。それで湿度が高いことは体感でもわかった。

    しばらく歩き、やはり久しぶりのマクドナルドでアイスコーヒーを飲んでいるうちに、涼しくなってきた。小休止ししばらくボウっと時を過ごしたりするのは、もう老人なので頭が回転しなくなってきたことがあるのだろう。それは悪いことではない。

    官庁街通りの花壇の花を観賞したのも久しぶりだった。もう季節が変わろうとしているから、咲いている花の種類も変化してきていた。

    咲く花と散る花が季節の移ろいを語り合っている。それは人の世でも同じことだ。わたしの知人もこの数年から十年近くの間に、何人も去って行った。下の写真も同様でに咲く花と散る花が季節の移ろいを語っている。人もまた、世に生きるものは、去っていったものと時の移ろいについて、時に語り合っているものである。わたしは少なくともそうしている。それは読書と祈りの時を通してのことだが、祈りについては、散歩で歩きながら祈ることができる。それで心の中で祈りながら、去っていった人のことを思い浮かべ、その人の生前の言葉のリフレインを記憶の空間に探すのである。

    花壇にはうつくしく咲いている花もあるが、咲いている花の数は少しづつ減ってきているように見えた。

    歩くことは、考えすぎることにブレーキをかけるのに役立つ。こうして散歩して、花を眺めていられるのは、考えようによっては至福に近い。

    ところで死が近づく時の様子を、まるで滝つぼに向かっているかのようだと、昔短歌の先生から教わったことがある。その方は母の短歌の選者の先生で友人でもあった。母がもう長くないと医師から言われたとき、先生は病院まで見舞いに来てくださった。

    母が亡くなって、わたしも母の意思を継ぎ、同じ先生に選者をお願いして同じ短歌の結社に入った。そのころ先生が母の思い出を語りながら、滝つぼの喩えを教えてくださった。川は悠々と流れている。しかしいつの間にか滝つぼに近づいていることに気づく。すると気がついたときには、もう考える間もなくどんどんと滝つぼが近づいて来て、あっという間に落下することになる。それを誰も止めることは出来ない。

    母と同世代で、先生ご自身滝つぼに何年もしないうちに向かうことになるということは、もちろん言外に充分含んだ言葉である。その先生もお亡くなりになったようである。母の死後も短歌の詠草だけでなく、しばらくそれに添えて手紙なども認めていた。数年後に仕事が忙しくなって、短歌は休止した。

    この10年ほどの間に、他にも長く知り合っていた友人や知人の多くが亡くなっていった。それは季節の変わり目にも似た、時代の変わり目のようにも感じられる。散歩をしていて、去るものとこれから咲くものがともに並んで在るのを見つけると、いつも同じ感慨が心に浮かんでくる。それを言葉で簡単に言うことはできないし、また言ってしまいたくもない。

    では、この項目は終わりです。

  • 歩いていることの自覚

    歩いていることの自覚

    わたしは歩いているとき、自分が歩いていることを自覚することがよくある。歩いている自分自身について、「わたしは今こうして歩いている」というふうに意識的に自覚をするのである。

    それは子供の頃からよくあったことだ。あるとき、通っていた小学校の近くの道を歩きながら、わたしは歩いている、そしてこれからも歩いて行く、と自覚したことを、今でも覚えている。

    実際に足で一歩一歩歩くことと人生の歩みが、とても類似していると感じるようになったのは、ある程度歳を重ねてからである。

    しかし不思議なことは、歳を重ねて人生を振り返り、過去の生活を思い起こすとき、わたしはその時々に住んでいた場所で、いつも歩いていた道を歩いてる自分の記憶が蘇ってくるのである。しかもそれは、その時々に、その場所のその道を歩いていた時に、歩いていることを自覚しながら歩いていたことをも含めて思い起こすのである。

    言い換えるなら、わたしはよく歩くタイプで、しかも歩くときに歩いていることを自覚するのが癖になっているので、人生の思い出のどの場面でも、ある道を歩いていた記憶と、その時に歩いていることを自覚していたことの記憶が、言わばセットになって一緒に回想されるのである。

    すでに子供の頃から、わたしは遥か先の人生の歩みに想いを馳せることが、よくあった。子供ながらに、これからのわたしの人生はどんなふうになるのだろうと、未知の未来に想いを馳せるのである。しかもそして、何となく人生は、子どもの自分がこうやって一歩一歩歩いているのと似たような感じで、やっぱり一歩一歩歩いて行くしかないんだろうなと、あまり子供らしくない高齢者が考えるようなことを、考えたりしていた。

    それは子供らしくないし、気持ちが覚めすぎていると言えなくもない。逆に言えば、子供らしく何かに夢中になって、我を忘れると言った、本来は子供にとって大変望ましい充実感に満ちた生の喜びを、持ちにくいタイプの子供だったように思う。 

    今時々散歩をして、路傍の草花や樹木や吹き抜ける風や抜けるような青空あるいはむせ返るような真夏の大気と入道雲にも、一種の緩やかな充実感を感じ味わうのは、おそらく、若い頃から、亡我するほどに強い充実感を持ちにくかった私が、自分なりに編み出した、緩やかで弱い充実感を感じるための工夫だったのだろうか。

    わたしはあまり強くなく、むしろ弱いとも言えるような、静かな喜びが好きなのである。静かな喜びは、何ものにも替えがたいものだと思うのである。

  • 移ろう季節の中の沈黙と語り

    移ろう季節の中の沈黙と語り

    5月に満開の桜が散った後、人通りも少なくなった桜並木を歩いていると、もうほとんど葉桜のように見える桜樹なのに、どうしてか遅れて咲いている桜の花が、一輪二輪と、太い幹の表や少し高いところの枝のなどに、とても控えめに咲いているのに、眼が止まった。

    十和田市官庁街通り 2025.5.3.

    満開の桜は好きだ。しかし、わたしの感じ方の癖なのだろうが、満開の前にフライングして咲いている一輪二輪の花や、もう満開はとっくに過ぎたのに、かなり遅れて咲く一輪二輪の桜の花の方が、むしろ魅力的に見えてしまう。

    2025.5.3.

    フライングも遅れ咲きも、どちらもタイミングが外れているので、ほとんどの人は見向きもしない。しかし、そこで咲いている小さな花は、そんなことには無頓着だ。多くの人に見てもらわなくとも、そんなことは構わないのである。誰に対しても自己を主張することなく、ただひっそりと時節を間違えて、おっちょこちょいに咲いている自分に対して、ふと眼を止めてほんの一瞬微笑んでくれる人が一人でもいてくれたら、それだけで満足なのである。

    いや、そんなことでもない。そんな人がもし一人もいなかったとしても、それでも構わないのである。

    小さな桜の花は、ひっそりとして沈黙している。自分をまったくアピールしようとしない。そんなことは眼中にない。季節が多少外れていようがいまいが、大きなことではないのだ。

    2025.5.3.

    「今、わたしは咲いている。仲間の花々がほとんど皆散ってしまったことは、少し寂しいといえば寂しい。でもわたしは、いまここで誰に迷惑を掛けずに、静かに、むしろ沈黙の中でこうして咲いている。ほんの数日の間だけれども、わたしは自分の生を十分に満喫して生きている。」

    そんな小さな桜の声が、沈黙の中から聞こえてくるような気がする葉桜の季節を、わたしはひとりで歩いていた。

    時が過ぎ桜の葉は成長していった。季節は春の終わりから初夏へと移り変わっていった。

    2025.5.10.

    饒舌な言葉が溢れている世界に少し疲れていたわたしは、季節の移ろいの中で、散っていく花や新たに咲き始める花などを見て、心を慰めていた。心中で語りだそうとする自分自身の思いを戒めて、むしろ、大空や風や樹木や草花の沈黙の語りに耳を澄ましている方がむしろよいことなのだと、思いなすことにしていた。

     

    おそらく散った花びらを隣の葉が受け止めている。2025.6.11

     

  • 雨の桜通り

    雨の桜通り

    ちょうどイースターの日曜日(4月20日)に、官庁街通りの桜は満開になった。翌月曜日にローマ教皇が亡くなった。そして、4月23日水曜日の朝、満開の桜通りは冷たい雨に濡れていた。世界の平和を願い祈りながら天に召された教皇の死をいたむかのように、この日の桜通りには、涙のような雨がしとしとと降っていた。

    4月20日
    4月21日
    4月22日
    4月23日、雨模様の桜通り

    4月20日日曜日、ミサに出る前、わたしは自宅から、春祭りの会場で開催されている園芸のコーナーの盆栽会のテントまで、ちょうど満開になっていたフジザクラの盆栽の鉢を手に持ち、歩いていった。十和田市官庁街通りは、ちょうど満開になったばかりで、車道は車の行列、両サイドの広い歩道にもかなりの人出があった。ほぼ晴れで、風もそれほど強くなかった。桜はほとんどまったく散っていなかった。

    4月20日、春祭りの盆栽市展示

    少し前からカトリックのミサにときどき出ていた私は、イースターの日もミサに行った。会堂は美しい花でかざられていた。いつもより多くの人が会堂の来ていた。神父の説教は日本語と英語とタガログ語でなされた。愛餐会に誘われて、信徒の皆さんと、ひととき楽しい時を過ごした。

    4月20日、イースターミサ、十和田カトリック教会会堂

    カトリック教会から南に少し歩いて、市の公民館まで行った。そこで十和田短歌会の4月例会に参加した。3月に一度お邪魔し、4月から参加させいただくことになっていた。2007年2月に船橋市で亡くなった母が、四半世紀にわたり参加し社友でもあった短歌結社「潮音」に、母を引き継ぐ意思をもって参加させていただき、その後数年間所属していた。仕事が忙しくなって、「潮音」を辞めさせていただいてから、十数年間短歌を読むことはなかった。

    4月20日、短歌会で頂く

    それが知人に誘われて、3月に一度短歌会を覗かせていただいていた。短歌をやめたことは残念な想いがずっとあったこともあり、少し考えたのち、参加させていただきたいとお願いした。それで、少し急であったが、4月の例会からは会員として参加させたいただくことになった。久しぶりに、にわか仕立てで読んでみた歌は、満足のいく出来ではなかった。しかし、それをN先生から書き直していただくと、それは見違えるような歌に変貌した。

    遅き春朝の光に温もりて言の葉記す八戸の街(筆者)

    指折りて春の言の葉さがす朝八戸の街にも遅き春来る(先生)

    どうみても、わたしの歌は凡作で、先生のはたいへん素晴らしい。妻に後で読んでもらうと、先生の歌の素晴らしさに感動していた。同じ文字数でこれほど違うのだと、わたしもたいへん驚いた。

    短歌会が終わった後で、もう一度桜祭りの会場の盆栽会のコーナーにいくと、すでに二日間の日程を終えて、後片付けいをしていた。今年も、即売もされていた盆栽や鉢をいくつか分けていただいた。

    その後しばらくの間、桜はあまり散らなかった。そして、ほぼ満開に近い見頃のままの状態が何日か続いた。例年より冷たい風が、いつまでも吹いていたことが、桜の花を長持ちさせたのか、それとも、昨年と比べるとかなりの剪定と手入れをした桜の樹々が元気を取り戻したのか、いずれにしても見事な桜をしばらくの間楽しむことができた。

    ちょうどこの時期に、フランシスコ教皇が亡くなったことで、カトリック信徒ではない私でも強いショックを受けた。そして気持ちが沈んだ。世界のプロテスタント教会は、その多様性のゆえに、かえって多少普遍的な思想から離れたりしてはいないか心配になるケースもある。ところが、カトリックはフランシスコ教皇の発言からも窺えたように、かなり高い水準の普遍性を維持しているように感じられる。もしかしたら、同じような感想を持っている方もいるかもしれない。

    十和田市は4月に入ってからも、夜は寒い日が多かった。日中もあまり暖かくない日も多く、毎日散歩をするというわけにも行かなかった。本当に春めく日というのが少ないのが、今年の春の特徴である。それがメンタル面でも、多層明るさと笑顔を奪ってしまっていたかもしれない。国際関係や経済も不安定さを増し、気象までもが必ずしも明るさをもたらしてくれはしない状態のまま、いつの間にか月末になり、ゴールデンウィークに入り、カレンダーも5月になった。

    桜の花がとても美しかったのだけれども、どことなく元気がでないのは、戦争や災害や国際的な軋轢が、多くの人々の日常生活にも暗い影を落としているからではないだろうか。

    知人からいただいたヒメリンゴとすみれが咲いた。寒い冬を越えて咲く花に慰めを見ている。