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  • パーフェクト・サマー

    数日前の散歩の日、空は気持よく晴れており、気温もちょうどよかった。風はとてもさわやかで、すでに6月の末で梅雨に入っていたのだが、おそらく梅雨の谷間だったのだろう。

    初夏の陽射しとさわやかな風は、かつて関東で経験した五月晴れの明るさと、緑色が濃くなり始めた若葉をそよがせていた気持ちのよい風とまったく同じだった。

    しばらく歩いていたとき、ふと、これはまるで「perfect summer 」だと思った。初夏の陽射しと、それを緑色に照り返す桜並木の枝枝。そして歩道に沿った花壇に植えられた、多様な色と形の草花。

    その日朝早く、大きな地震があった。この日のことは別の記事「地震と台風」にも書いた。早朝の大きな揺れに不安を抱えたままであったが、あまりに天気がよいので散歩に出たのである。

    幸い、わたしの住む街ではそれほど大きな被害はなかった。とはいえ、散歩をしながら陽射しと爽やかな風、草木のそよぐ風景の美しさに心を奪われ、まるでperfect summerだと内心思うことには、どこか気が引けた。

    国内では大雨の被害もあったし、さらなる被害も予想されていた。そればかりか、家に帰ると、南米のヴェネズエラではるかに大きな地震があったというニュースが流れていた。その一報を聞いただけで、相当の被害になるだろうとわかった。

    長引くウクライナの戦争、アメリカ、イスラエル、イランの間の紛争。それ以外にも、世界中から多くの紛争や災害のニュースが流れてくる。

    それを知りながら、自分だけ呑気に散歩して歩き、「ここはまるでperfect summer のようだ」と、心の中でほくそ笑んでいていいのだろうか?そんな思いがよぎった。

    それでも、perfect summer のような天気は、その後2、3日続いた。同時に、日本と世界の情勢の方も、まったく好転する気配はなかった。

    その後、少し暑いと寒いがあった。その間に、あらたにヨーロッパでは、熱波で死者が増えているというニュースが流れてきた。エアコンの普及率が20%なのだそうである。暑過ぎて川や運河に飛び込んで涼を取っているのはよいとしても、それが行き過ぎてしまい死者までも出ている。

    そして、今日7月2日には、九州をはじめとして、線状降水帯や洪水のニュースが流れている。

    やや肌寒く、小雨も降っている今日の天気は、もうperfect summer ではない。とはいえ、夏に入りつつある時期にこれほど涼しいのは、体には快適だ。近くまで歩いて買い物にいき、何枚かの紫陽花(アジサイ)の写真も撮った。

    ふと、昨年観た映画『Perfect Days』を思い出した。

    主人公の平山は、東京で公共トイレの掃除の仕事をしながら、アパートに一人で暮らす。趣味は小さなコンパクトカメラで時折立ち寄る神社などで、季節の草木の写真を撮ること。それと、自宅アパートでのささやかな園芸だ。仕事が終わると、地下街の行きつけの居酒屋で、一人食事をしながら店のテレビで野球中継を観る。

    その映画のところどころで、60年代から70年代の英語の曲が何曲も流れる。エンディングはニーナ・シモンの『Feeling Good』で、朝が来て新しい日が始まる喜びをまっすぐに歌い上げる。

    わたしはこの映画が好きだった。

    主人公とは住む場所も境遇もまったく違うとはいえ、わたしもただ朝日を受けて散歩して草木の写真を撮る。家で妻とちょっとした園芸をしている。トイレ掃除は自宅のトイレだけだが、最近はたまに夜、野球中継を観ている。

    説明などできないし、する気もないのだが、平山の「Perfect Days 」をいつの間にか想起していたのだから、わたしが初夏の十和田市街を歩いて、ふと「perfect summer」 という言葉が浮かんできたことを語ってもきっと誤解を生むことはないだろう。ひとり、そう思うことにしたのである。