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雨の桜通り
ちょうどイースターの日曜日(4月20日)に、官庁街通りの桜は満開になった。翌月曜日にローマ教皇が亡くなった。そして、4月23日水曜日の朝、満開の桜通りは冷たい雨に濡れていた。世界の平和を願い祈りながら天に召された教皇の死をいたむかのように、この日の桜通りには、涙のような雨がしとしとと降っていた。




4月20日日曜日、ミサに出る前、わたしは自宅から、春祭りの会場で開催されている園芸のコーナーの盆栽会のテントまで、ちょうど満開になっていたフジザクラの盆栽の鉢を手に持ち、歩いていった。十和田市官庁街通りは、ちょうど満開になったばかりで、車道は車の行列、両サイドの広い歩道にもかなりの人出があった。ほぼ晴れで、風もそれほど強くなかった。桜はほとんどまったく散っていなかった。

少し前からカトリックのミサにときどき出ていた私は、イースターの日もミサに行った。会堂は美しい花でかざられていた。いつもより多くの人が会堂の来ていた。神父の説教は日本語と英語とタガログ語でなされた。愛餐会に誘われて、信徒の皆さんと、ひととき楽しい時を過ごした。

カトリック教会から南に少し歩いて、市の公民館まで行った。そこで十和田短歌会の4月例会に参加した。3月に一度お邪魔し、4月から参加させいただくことになっていた。2007年2月に船橋市で亡くなった母が、四半世紀にわたり参加し社友でもあった短歌結社「潮音」に、母を引き継ぐ意思をもって参加させていただき、その後数年間所属していた。仕事が忙しくなって、「潮音」を辞めさせていただいてから、十数年間短歌を読むことはなかった。

それが知人に誘われて、3月に一度短歌会を覗かせていただいていた。短歌をやめたことは残念な想いがずっとあったこともあり、少し考えたのち、参加させていただきたいとお願いした。それで、少し急であったが、4月の例会からは会員として参加させたいただくことになった。久しぶりに、にわか仕立てで読んでみた歌は、満足のいく出来ではなかった。しかし、それをN先生から書き直していただくと、それは見違えるような歌に変貌した。
遅き春朝の光に温もりて言の葉記す八戸の街(筆者)
指折りて春の言の葉さがす朝八戸の街にも遅き春来る(先生)
どうみても、わたしの歌は凡作で、先生のはたいへん素晴らしい。妻に後で読んでもらうと、先生の歌の素晴らしさに感動していた。同じ文字数でこれほど違うのだと、わたしもたいへん驚いた。
短歌会が終わった後で、もう一度桜祭りの会場の盆栽会のコーナーにいくと、すでに二日間の日程を終えて、後片付けいをしていた。今年も、即売もされていた盆栽や鉢をいくつか分けていただいた。
その後しばらくの間、桜はあまり散らなかった。そして、ほぼ満開に近い見頃のままの状態が何日か続いた。例年より冷たい風が、いつまでも吹いていたことが、桜の花を長持ちさせたのか、それとも、昨年と比べるとかなりの剪定と手入れをした桜の樹々が元気を取り戻したのか、いずれにしても見事な桜をしばらくの間楽しむことができた。
ちょうどこの時期に、フランシスコ教皇が亡くなったことで、カトリック信徒ではない私でも強いショックを受けた。そして気持ちが沈んだ。世界のプロテスタント教会は、その多様性のゆえに、かえって多少普遍的な思想から離れたりしてはいないか心配になるケースもある。ところが、カトリックはフランシスコ教皇の発言からも窺えたように、かなり高い水準の普遍性を維持しているように感じられる。もしかしたら、同じような感想を持っている方もいるかもしれない。
十和田市は4月に入ってからも、夜は寒い日が多かった。日中もあまり暖かくない日も多く、毎日散歩をするというわけにも行かなかった。本当に春めく日というのが少ないのが、今年の春の特徴である。それがメンタル面でも、多層明るさと笑顔を奪ってしまっていたかもしれない。国際関係や経済も不安定さを増し、気象までもが必ずしも明るさをもたらしてくれはしない状態のまま、いつの間にか月末になり、ゴールデンウィークに入り、カレンダーも5月になった。
桜の花がとても美しかったのだけれども、どことなく元気がでないのは、戦争や災害や国際的な軋轢が、多くの人々の日常生活にも暗い影を落としているからではないだろうか。

知人からいただいたヒメリンゴとすみれが咲いた。寒い冬を越えて咲く花に慰めを見ている。