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移ろう季節の中の沈黙と語り
5月に満開の桜が散った後、人通りも少なくなった桜並木を歩いていると、もうほとんど葉桜のように見える桜樹なのに、どうしてか遅れて咲いている桜の花が、一輪二輪と、太い幹の表や少し高いところの枝のなどに、とても控えめに咲いているのに、眼が止まった。
十和田市官庁街通り 2025.5.3. 満開の桜は好きだ。しかし、わたしの感じ方の癖なのだろうが、満開の前にフライングして咲いている一輪二輪の花や、もう満開はとっくに過ぎたのに、かなり遅れて咲く一輪二輪の桜の花の方が、むしろ魅力的に見えてしまう。
2025.5.3. フライングも遅れ咲きも、どちらもタイミングが外れているので、ほとんどの人は見向きもしない。しかし、そこで咲いている小さな花は、そんなことには無頓着だ。多くの人に見てもらわなくとも、そんなことは構わないのである。誰に対しても自己を主張することなく、ただひっそりと時節を間違えて、おっちょこちょいに咲いている自分に対して、ふと眼を止めてほんの一瞬微笑んでくれる人が一人でもいてくれたら、それだけで満足なのである。
いや、そんなことでもない。そんな人がもし一人もいなかったとしても、それでも構わないのである。
小さな桜の花は、ひっそりとして沈黙している。自分をまったくアピールしようとしない。そんなことは眼中にない。季節が多少外れていようがいまいが、大きなことではないのだ。
2025.5.3. 「今、わたしは咲いている。仲間の花々がほとんど皆散ってしまったことは、少し寂しいといえば寂しい。でもわたしは、いまここで誰に迷惑を掛けずに、静かに、むしろ沈黙の中でこうして咲いている。ほんの数日の間だけれども、わたしは自分の生を十分に満喫して生きている。」
そんな小さな桜の声が、沈黙の中から聞こえてくるような気がする葉桜の季節を、わたしはひとりで歩いていた。
時が過ぎ桜の葉は成長していった。季節は春の終わりから初夏へと移り変わっていった。
2025.5.10. 饒舌な言葉が溢れている世界に少し疲れていたわたしは、季節の移ろいの中で、散っていく花や新たに咲き始める花などを見て、心を慰めていた。心中で語りだそうとする自分自身の思いを戒めて、むしろ、大空や風や樹木や草花の沈黙の語りに耳を澄ましている方がむしろよいことなのだと、思いなすことにしていた。
おそらく散った花びらを隣の葉が受け止めている。2025.6.11 -
雨の桜通り
ちょうどイースターの日曜日(4月20日)に、官庁街通りの桜は満開になった。翌月曜日にローマ教皇が亡くなった。そして、4月23日水曜日の朝、満開の桜通りは冷たい雨に濡れていた。世界の平和を願い祈りながら天に召された教皇の死をいたむかのように、この日の桜通りには、涙のような雨がしとしとと降っていた。
4月20日 4月21日 4月22日 4月23日、雨模様の桜通り 4月20日日曜日、ミサに出る前、わたしは自宅から、春祭りの会場で開催されている園芸のコーナーの盆栽会のテントまで、ちょうど満開になっていたフジザクラの盆栽の鉢を手に持ち、歩いていった。十和田市官庁街通りは、ちょうど満開になったばかりで、車道は車の行列、両サイドの広い歩道にもかなりの人出があった。ほぼ晴れで、風もそれほど強くなかった。桜はほとんどまったく散っていなかった。
4月20日、春祭りの盆栽市展示 少し前からカトリックのミサにときどき出ていた私は、イースターの日もミサに行った。会堂は美しい花でかざられていた。いつもより多くの人が会堂の来ていた。神父の説教は日本語と英語とタガログ語でなされた。愛餐会に誘われて、信徒の皆さんと、ひととき楽しい時を過ごした。
4月20日、イースターミサ、十和田カトリック教会会堂 カトリック教会から南に少し歩いて、市の公民館まで行った。そこで十和田短歌会の4月例会に参加した。3月に一度お邪魔し、4月から参加させいただくことになっていた。2007年2月に船橋市で亡くなった母が、四半世紀にわたり参加し社友でもあった短歌結社「潮音」に、母を引き継ぐ意思をもって参加させていただき、その後数年間所属していた。仕事が忙しくなって、「潮音」を辞めさせていただいてから、十数年間短歌を読むことはなかった。
4月20日、短歌会で頂く それが知人に誘われて、3月に一度短歌会を覗かせていただいていた。短歌をやめたことは残念な想いがずっとあったこともあり、少し考えたのち、参加させていただきたいとお願いした。それで、少し急であったが、4月の例会からは会員として参加させたいただくことになった。久しぶりに、にわか仕立てで読んでみた歌は、満足のいく出来ではなかった。しかし、それをN先生から書き直していただくと、それは見違えるような歌に変貌した。
遅き春朝の光に温もりて言の葉記す八戸の街(筆者)
指折りて春の言の葉さがす朝八戸の街にも遅き春来る(先生)
どうみても、わたしの歌は凡作で、先生のはたいへん素晴らしい。妻に後で読んでもらうと、先生の歌の素晴らしさに感動していた。同じ文字数でこれほど違うのだと、わたしもたいへん驚いた。
短歌会が終わった後で、もう一度桜祭りの会場の盆栽会のコーナーにいくと、すでに二日間の日程を終えて、後片付けいをしていた。今年も、即売もされていた盆栽や鉢をいくつか分けていただいた。
その後しばらくの間、桜はあまり散らなかった。そして、ほぼ満開に近い見頃のままの状態が何日か続いた。例年より冷たい風が、いつまでも吹いていたことが、桜の花を長持ちさせたのか、それとも、昨年と比べるとかなりの剪定と手入れをした桜の樹々が元気を取り戻したのか、いずれにしても見事な桜をしばらくの間楽しむことができた。
ちょうどこの時期に、フランシスコ教皇が亡くなったことで、カトリック信徒ではない私でも強いショックを受けた。そして気持ちが沈んだ。世界のプロテスタント教会は、その多様性のゆえに、かえって多少普遍的な思想から離れたりしてはいないか心配になるケースもある。ところが、カトリックはフランシスコ教皇の発言からも窺えたように、かなり高い水準の普遍性を維持しているように感じられる。もしかしたら、同じような感想を持っている方もいるかもしれない。
十和田市は4月に入ってからも、夜は寒い日が多かった。日中もあまり暖かくない日も多く、毎日散歩をするというわけにも行かなかった。本当に春めく日というのが少ないのが、今年の春の特徴である。それがメンタル面でも、多層明るさと笑顔を奪ってしまっていたかもしれない。国際関係や経済も不安定さを増し、気象までもが必ずしも明るさをもたらしてくれはしない状態のまま、いつの間にか月末になり、ゴールデンウィークに入り、カレンダーも5月になった。
桜の花がとても美しかったのだけれども、どことなく元気がでないのは、戦争や災害や国際的な軋轢が、多くの人々の日常生活にも暗い影を落としているからではないだろうか。
知人からいただいたヒメリンゴとすみれが咲いた。寒い冬を越えて咲く花に慰めを見ている。
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春はスローモーションのように
数日前の4月12日だったと思うのだが、十和田市街も暖かくなったので、そろそろ官庁街通りの桜のつぼみもほころび始めるのではないかと、期待した。しかしその期待はあっけなく外れてしまった。まだまだ肌寒い日が続いていたので、桜の樹の方でも、そこまで気分が向かなかったのだろうか、と少しだけ気落ちした想いで桜並みの大通りを歩いた。
翌13日は、気温がまた下がった。ミサに出るので早めに散歩に出た。前日より気温が下がったので、おそらく開花はまだしないだろうと思った。実際官庁街通りの桜並木は、どの樹もまったく開花していないように見えた。
俯き加減で浮かない表情をしながら、わたしは歩いていたことと思う。中央病院の前を少し過ぎたあたりで、向こうから元気よく歩いてくる方が見えた。そしてすれ違うほんの数歩手前で、その方がすっとご自分の右手の桜の幹の人の背丈より少し上方に視線を向けた。そして微かに微笑んだ。
わたしはとっさに「開花してますか?」と話しかけた。もう1、2歩歩くと、わたしの方角からは死角になっていた側の桜の幹が見えた。ほんの数輪だったが、桜の花が咲いていた。わたしは「開花していますね!」と、いつのまにか少し軽い気持ちになって語りかけた。ほんの一瞬の小さな春を胸にしまって、まるでスローモーションのような春の展開に、少しうんざりしながら、しかし少しだけうきうきもしながら、まだ他の樹々は一輪も開花していない桜並木をいつもにように歩いて行った。
14日も気温はさほど上がらず、桜並木の様子は、相変わらずだった。
そして今日15日になっても、まだ気温はさほどには春めかない。今週の後半くらいから、やっと本格的に暖かくなるという予報だ。とすると、もしかしたら次の日曜日、キリストの復活祭の日に満開になるということなのだろうか?
上の写真は一昨日撮影。今日の午後になって、もう1度歩いてみると、これと似たような幹から咲いている桜の花が数ヵ所あるのを見つけた。下がその写真。