Riverside Walk and Mind-wandering

タグ: 随想

  • 川底の空

     午後になってから散歩に出た。 ・・・ 空。 秋の空は美しい。 高い梢の間から見上げる空には、どこか懐かしさを覚える。たぶん子供のころにも同じようにして、よく空を見上げていたのだ。

    十和田市八甲公園。2024.9.3. 15:00.
    同じ公園で。 2024.9.3. 15:01.

     官庁街通りの歩道を流れる稲生川を覗いて見ると、川底に空が見えた。無限に広がる大空が小さな人工河川である稲生川の浅い川底に映っている。まるで大空と小さく細やかな流れが、無言のうちに光によって交信し合っているかのようだ。無限の宇宙と小さな河川の呼応と響応。 ・・・ あたかも存在すること、生命が存在すること、すなわちこの地球に生命が存在することの本来の在り方が、じつは大空と宇宙と小さな地球との呼応であり響応なのだということを、密かに告知しているように想われてくる。 なぜ人間だけがお互いに呼応することそして響応することの意味を見失ってしまったのか?

    十和田市官庁街通り。 2024.9.3. 16:06.
    同じ場所で。 2024.9.3. 16:00.

     図書館で休んで、枕草子の現代語訳をパラパラとめくり、この歳になってやっとそのよさに目覚めた日本の古典文学にもっと触れなければと考えた。 夕刻になった通りに出て少し歩き、ちょうど西日が梢の間から溢れてきて背後から射している数頭の馬の像を見た。美しい。

    十和田市官庁街通り。2024.9.3. 16:52.

     

     さらに陽が落ちると、もう半袖では寒くなってきた。この十和田市ですらあまりに暑かった季節が、終わろうとしている。

  • 台風の余波

     スピードの大変遅い台風10号の影響で、すでに災害が発生し、さらに東海と関東でも大雨が降っている。

     台風の余波で、青森県でも今日は雨が降った。日中に雨が止んだので、散歩に出た。行き先は決めなかった。市街地の比較的交通量がある道路の歩道をまっすぐ歩いた。途中で道路脇の植え込みに咲いている花に眼が止まり、写真を撮った。

    十和田市街地で撮影。2024.8.31

     そのまま歩き家から少し離れたスーパーまで歩いたが、気温は約26℃で湿度は99%もあった。すでに4,000歩以上も歩いていたので、蒸し暑さが身体にこたえた。地元産の野菜がとても新鮮だったので数点購入し、帰りは市内の循環バスを利用することにした。帰る途中、また雨が降り出した。

     なんでもない散歩だが、いろいろと考えるともなく考えつつ歩いている。遅い台風の被害がすでに出ているので、そのことが気に掛かる。それからウクライナの戦争の被害やガザの現状について、心の深いところでつねに思いを馳せている。自分自身の生活上の事柄についてももちろん考える。ただ外を歩いていると、この街から遠く離れていても同じ空の下で生活している日本と世界の普通の人たちのことを思わずにはいられない。ペットが死んだだけでも、大変な苦しみを味わうのが人間だ。多くの死ぬ必要のない人が毎日死んでいくことを思うと、わたしなりにとても苦しい。自分では何もすることができないので、ただ歩きながら思いを馳せて祈るともなく祈っているのかもしれない。